雪害・災害

イトウと岩魚2足のわらじ

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騒がずにそっとしておいて

雪害にM9.0の東北地方太平洋沖地震。2011年3月11日2時48分は友人と小樽にいた。施設内はお互い別行動をとって私は港が見渡せる4階の窓際通路に立ち海を眺めていた。そのとき、ゆっくりと大きな横揺れを感じ、通路の壁に目を向けると吊るされているポスターが左右に動いていた。地震だ?!窓際の通路間には椅子が並び、何人か座っているが誰も地震の揺れには気が付いていない。1分ほどの間ゆっくりと横に揺れ、建物のジョイント部分からはギュウギュウと擦れ合う音が響き渡るが揺れが治まるまで誰も気が付くことはなかった。

今年、札幌の積雪は中央区より北側の区が多く、気温が上がらなかったせいでドカ雪もないまま融けずに順調に降り積もった。車を走らせ市外へ出てみると全道的には積雪は少なく、山の斜面を見ても2月の段階で木々の幹周りに堆積する雪は融け、3月下旬には春が期待できそうな雰囲気だったが、気象パターンが変わりつつある今後を当てにするには不安がある。その後、百年?千年に一度の大災害に見舞われた日本はどう立ち直っていくのか世界が注目している中、第二次大戦後の復興からバブルが弾け、長らく低迷している経済状況に追打ちの災害、これが逆風になるのか追い風になるのか?正に日本人が試される時なのかもしれない・・・

地震で思い出す1993年7月に発生した南西沖地震。当時は年間出張日数が270日、出張先をハシゴしながら何処からどこへ移動したか記憶が定かではないが、当時、社員全員で奥尻島へ渡り復旧作業に従事したのを憶えている。島に上陸して最初に目に映った光景は建物が津波によって粉砕された瓦礫の山、そこを重機によって道が切り開かれた直後の段階で、青苗地区はもとより島内を走る道を車で進むと、落差20mほどある断崖部分には津波によって押し上げられた車が残され、町の中心部には家屋があったであろう基礎部分が露出して見え、津波によって押し潰された建物の残害、パチンコ店の玉が一面に散乱していた。

復旧作業にあたり宿泊した所は被害が最小限に抑えられた旅館で、作業員を受け入れる為に仮設のプレハブ部屋が増設され、7月としては宿の外に自生する行者ニンニクの匂いが強烈だったのを思い出す。時代を振り返ると良い年、悪い年だったと明確に識別する年代はないですね・・・・・