不便

イトウと岩魚2足のわらじ

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北海道のイトウと岩魚
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不便であるほど開拓精神が刺激される。でも、便利で楽になってしまうと努力を惜しむようになる。ようやく北海道も蒸ムシと暑くなり昨日6月29日の札幌市は30.5℃と真夏日を記録。カメラを持ってフィールドへ出かける今時期になると車を使う機会も増え、好天の日は市内を出て雪代が混じる南部の上流域あたりを下見し良ければ半日、水に浸かって写真を写す。綺麗な水に全身を浸し魚を見ているだけで幸せな気持ちになれるこれからの5ヵ月間、イトウの時期を除けば冬から早春にかけては何もする事がなく、深雪さえ積っていなければ自転車で街まで行き大通り公園の歩行者通路脇に腰かけ人々が行き交う雑踏と何も代り映えのしないビル街を眺めてることが多かった。車と違って自転車や歩行速度になると、普段まったく目に留まらない風景が見えて、人口が増えている札幌の街中も、足元の歩道を見ればアスファルトが剥がれ陥没し、見上げればビルの空きテナントが随分と目立っているものだった。

もう40歳を過ぎると性別問わず若い子を見れば可愛いと感ずるようで、今になっても思い出す3月に会った若い営業マン23歳といっていたが、ヒョロリと痩せ細りスーツ姿でニコリと話しかけられとっさに結構だとあしらったあの子は今どうしているんだろう。聞けば良い大学をでているようで、卒業後はアルバイトをしながら就職活動し現在は市内にアパートを借り某社に就職し現在に至るということだった。若い娘だったら鼻の下でも伸ばして喜んでいたかもしれないけど’冤罪’の餌食に遭ってはたまったもんじゃない。気が付けば目前に立っていた彼を相手に喋っていたはずが横に座り4時間も話し込んでいた。一日の労働時間は13時間、まあ営業だから残業代は無いようだが給料の支払い日が毎月遅れているというのはブラック企業なんだなあ、入社して早々社員教育はなく直ちに即戦力を要求され一日一件を売りさばくというノルマを達成しなければ社に戻れない。

時代を問わず民間企業なんてそんなもんかもしれないが、セールスは正しく死語になるだろうという今。便利な物=ハイテク機器が溢れ返ると”労働市場”は消えていく。自動車が発明され240年?エジソンが発明して140年というが技術の基本原理は変わらぬまま科学技術が改良されているだけで、未だにタイヤを地面に転がし資源を燃やして発電し電気をおこしているんだから革命的な新たな発明は無いんですよ。緻密で精密だとしても原理は同じ、確かに良い物が生まれ便利で楽になったが人手=労働力は縮小された反面、利益を追究すると格差が広まってしまった。

その皮肉なことに労力によって頑張りさえすれば評価される分野は公務員だろう。受験と試験という既製された狭い道を一時、競争し勝ち取れば能力に関係なく終身雇用が約束され、例え昇進から溢れても天下り≠ニして高い収入を得ることができる。だから議員の数が諸外国より多くなって、今日は道職員の夏のボーナス54万円ですか?知事は210万円といった道内の民間企業としては信じられない額が支払われるんです・・・。良いんですよ!?何かしら実績を上げるなり利益に対し貢献できたなら、どんな高額な賞与を貰ったって誰も意義しない。そういった事に対し関心を抱かない民意の多さに問題があって私は嘆くんです。関心を持たず主張しないということは家畜と同じなんです・・・

このダムが便利な構造物かと言えば、これからの時代とここは明らかに無駄な事業だ。八ッ場ダム、サンルダムはどうなったのか、働いている人がいるから止められない?というなら民間企業は利益が途絶え経営を持続できなければ廃業するなり倒産するしかない。この小さな島国で物理的にこんな実用的ではない無駄な税の投入をダムや砂防事業に注ぎ続けることはできない。もし、これを造った後、次はどうするんですか?ひたすら壊し続ける魂胆なのか?全て皆さんの税ですよ・・・民が商売をし利益を生み出すのは税の根源ですから、源が枯渇すれば税は払えない。

何年前だろうか、イトウと岩魚2足のわらじをやっていく為に定職を捨てアルバイト生活に切り替えて間もな年、知り合いが経営する会社を頼りにハシゴしながら紹介で農家の手伝いをした時、そこらの用水路は手掘りからヒューム管に造り変える為の工事が行われていて、水の流れを一時的に堰き止めるための鉄の遮切板?かなによって工事区間の流れが数日間、干上がるものだった。作業員とは別に現場を仕切る現場代理人は後ろに手を組み棒立ちする姿を毎日、遠目に眺めていたある日、いつもぼさっと立っているはずの監督が中腰になって忙しく何やら激しい動作で動いている。

気になって側へ寄ってみると、ヘルメットを脱いで遮断された枯れた水路に取り残された見たところ”エゾホトケ”を、そのヘルメットを使い救い上げ可哀そうに・かわいそうにと、ブツブツ口にしながらせっせと新たに切り替えられた流れへと移し帰していた。

現場で従事する人たちは自分たちが成すことに無駄か必要かはなんの疑問を抱かない。これをやらないと食わせてやらないぞと誘導されるからやるしかない。しかし、気が付けば建設機械は改良され一台何十人駆という便利な物が労働力を節約し、それらを開発したこれからの技術者と扱う側はもう頑張らなくていいよと肩を叩いてくる。もう人の感情は必要されなくなるんだろうか・・・便利な物が創られるほど不便な社会が拡大する・・・資源が豊かだった昔は懐かしいものですね・・・