2009

96年

イトウと岩魚2足のわらじ

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北海道のイトウと岩魚
北海道の岩魚
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2009-2

新年を迎えてようやくのご挨拶になります。これといって近況をお報せするほどの内容は無いものの、師走の連休23・24日に旭川経由でオホーツク海側へ抜け、海岸線を辿り浜頓別〜猿払〜宗谷岬〜ノシャップ岬〜この辺は11月にしてみればものすごく吹雪いてたのはさすがに最北端だった、それに温暖化の影響なんて欠片も感じられなかった。特に、その時期、ここらへ来ると15年ほど前、仕事で二ヶ月間、出張で宗谷丘陵に一人滞在したことを想い出す。え〜と、海岸沿いに構える確かそのときで創業85年だと言っていた老舗旅館だから、今では100年経っていることになるなあ・・・

-そんなことで、ちょっと1996年6月を-

現在のところイトウ釣り人生で一番輝いた瞬間。当サイトを初めて公開した時にトップページで数日間だけ使って以来、お蔵入りにしていた懐かしの一枚、今では沢山の伝説が生まれている場所はロシア極東、コッピ川。

この時も翌朝に凄い夢を見た!真ん中は現地人ガイドのミ―シャ、そして右が故・河井さんだ。写真の右下に記録されている年月日、96・6・18’日程が7泊8日、現地に到着して竿を振ってから二日目の記念写真・

94年でのリベンジだと聞いていた通り、新潟空港の集合場所、ロビーの一角に辿り着いた時、何処からともなく聞こえてきた喉声で熱く語るのはワイヤーーリーダー?140?・120cmクラスを何度も掛けたが顔さえ見ることなくラインが引きちぎられた・・

本当だった。今になって釣りが嫌いになったとか辞めたとは言わないが、長年追い続けていればとか、釣りが上手だのプロだからいつかは巡り会えるというものじゃない・。それに、ロシアのように原生という自然環境が保たれているから行けば誰でも手にできるというものでもない。

写真、3人が写る真後ろのロッジで日程間、釣り以外の時間を飲み語った。単独行動ばかりの幼少時代からこの瞬間まで、気が合うとか仲が良いと感じたことが無いときに自然と肩を張らず、対象魚、目的、場所、ルアーを放り込むポイントさえも同じ”一点”が重なる時間を過ごすことができた。3日目に私が最初に一本を上げ、たて続けに場所を変え二本、三本を二日目に同じポイントで釣り上げた。それまで私は殆ど釣果をあげられなく、まさに指を咥えて羨ましそうに横で眺めているばかり、それが、その日を境に運気が逆転した。こんな事があった、ポイントごとに釣れるサイズが棲みわけされるよに異なり、偶然ながらボートの上からのキャストでは気が付くと決まって立ち位置、タイミングが私に有利に傾き、4本目を予感したとき私は体の向きを変えポイントを外しキャストした・・。そして間もなくして河井さんのロッドに掛った・・ボートの上に揚げてすぐ、池田さん有難う譲ってくれて!と言ってくれたが、私は反対側が良いと思っただけなんです。

最後に話をしたのは翌年の2月、深夜2時に電話が入り随分とご機嫌な様子で、今、副院長と飲んでるところですが、ところでまた6月’カムチャッカ’へ一緒に行きませんかという誘いだった。対象がキングだったので、その気にならなかった。今、想い出せばあの時行っておけばと思うほど、会いたいなあと思い出すことがある。

イトウは人の手が加わった時点で魅力がなく存在価値と意味が無い。原生の中に生きていないと追う気も薄れ、ましてや釣る気は無い。北海道にはそういった空間は開発され存在していません。規制だとか保護を唱えることができる最低限の条件は自力で再生できる舞台=環境が保存されている場がなければ何をやっても言っても意味がない。道路を造りたい?川を改修したい?ダムも?木も伐りたい?そんな都合の良いことの共存は決して有りえない!意識を集中するといろはその一点・・・

2009-2